僕はDay Dream Believer

モロモロの日々

コレラの時代の愛

ガルシア・マルケスの『コレラの時代の愛』を読んだ。

 

「どんな本、読んでるんですか?」

「いゃあ(作家の名前)なんてのを...」

 

というやりとりで名前を挙げたい作家ランキング上位間違いなし、ガルシア・マルケス。ただ僕にはそんなやりとりをする相手がいない、ホシクズ・ロンリネス。大人は見えない、シャカリキ・コロンブス

 

50年以上片思いしていた主人公が、好きな人妻の旦那の葬儀の日の夜に「実はあの日からずっと変わらず好きなんだ...」と迫る。とんだモラルハザードな序盤!!偲んで!故人を偲んで!50年待てたのならあと七日、せめて初七日の法要を待とうか。

 

ここから過去の回想になり、いかに彼女を愛してきたかという話になるのだが、今だったら完全にアウトなアプローチの数々。女性の家の近くでバイオリン弾いたり、女性がそこに写ったというクレージーな理由でレストランの鏡を買い取ったり、映画館で偶然後ろの席に女性が座っていて喜んだのも束の間「彼女が吐いた息を俺は今吸っている!」と興奮したり...コレラの時代は愛の行為に対しては大分寛容の模様。ただこの主人公50年一途かと思いきや未亡人を片っ端から抱きまくったり遠縁の少女ともふしだらな関係(スーパードン引きました)になったり、それで「心は君のものなんやで!」と言われてもあんま説得力ナッシング。

 

同じ名前の一族がわんさか出てくる『百年の孤独』や言葉の洪水段落一切なし小説『族長の秋』よりは読みやすかったです。幻想もあまりしていないですし。

 

 

2016年良かったもの

終わるそうです。はやいものです。2016年も。毎年毎年この時期になると「一年早いなぁ」なんて言っておりますが本当に早いんだからしょうがない。早いよ!イクのが早い!でも早い割には20代最後の年・地元に帰省等個人的には濃密な一年になりました。来年も一日一日濃く(コク)過ごしていきたいもんですなぁ...う〜ん、イク年コク年!

そんなこんなで今年の良かったものを発表しま〜すイェ〜イ。ちなみに昨年はこんな感じでした

 

2015年映画ベストテン - 僕はDay Dream Believer

 

■映画

第1位『ローグ・ワン』

第2位『この世界の片隅に

第3位『追憶の森』

第4位『クリード

第5位『ハドソン川の奇跡

第6位『パディントン

第7位『ディーパンの闘い

第8位『シング・ストリート』

第9位『FAKE』

第10位『レヴェナント』

 

今年もスターウォーズが一番でした〜。『ローグ・ワン』は中盤まで怠いとかマッツ・ミケルセンの風貌なら1人で帝国倒せそうとか言われてますが、もうその辺はしょうがない!好きだから!こんなにも宇宙の広がりを感じる映画そうないよ!それにドニー・イェンが出てるんだからその面白さかちこみ!ドラゴンタイガーゲートだよね!

この世界の片隅に』は面白いとか面白くないで語る映画ではないのですが2位です。戦争に参戦するのではなく、圧倒的な被害に遭うでもない、これまで意外に描かれなかったそのどちらでもない人々の生活を描くというのが良かったです。ジリジリと“あの日”が近づいてくるのがなんとも言えない気持ちにさせられます。

ガス・ヴァン・サントの『追憶の森』は普段自分が感じていることが見事に映像化されていて感激しました。妻の死を乗り越えられない学者のマシュー・マコノヒーがなぜか富士の樹海に猛烈に惹かれてそこで彷徨います。それでよく分からないラストサムライ渡辺謙と霊魂とかそんな話をするのですが、まぁそれが結構スピリチュアルです。スピリチュアルっていうと大分怪しい感じがしますが、いかにして身近な人の死を乗り越えるかという物語なのですよ。ですが学者のマコノヒーは霊魂を信じられない。学者と宗教ってのは『コンタクト』ぽいですが、まぁそんな映画です。結構好きでした。

4位以下もかけつけ豆乳2杯飲みたくなるような(『FAKE』より)面白映画ばかりです。

 

■本(読んだ順)

『結婚式のメンバー』カーソン・マッカラーズ

『オラクル・ナイト』ポール・オースター

パルプチャールズ・ブコウスキー

『地図になかった世界』エドワード・P・ジョーンズ

『STONER』ジョン・ウィリアムズ

『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』木下古栗

『堆塵館』エドワード・ケアリー

『あひる』今村夏子

 

今年は本を結構読んだのでそのメモも。『結婚式のメンバー』は村上柴田翻訳堂の一冊。『オラクル・ナイト』『パルプ』は柴田元幸訳。『地図になかった世界』は柴田元幸イチオシの一冊...気づけば本棚柴田元幸だらけ!

 『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』(うーん、素敵なタイトル!)は短編集ですが表題作がとても良かったです。会社員が失踪した自分自身を探しに行く話なんですが、これはとてもアメリカ文学っぽい。アメリカはコロンブスが発見してから物凄いスピードで発達した国なので文学も他の国に比べると歴史が浅いのですね。なのでアメリカ文学で語られることの一つが「ここがどこで、私が誰」なのか。失踪のフリをした夫が妻を遠くから延々観察する『ウェイクフィールド』はまんまそんな話ですし。それを踏まえて『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』を読むととても面白かったです。アメトーークでも紹介されていた『グローバライズ』も読みたいのですがamazonではなぜか品切れ...

 

■音楽

岡村靖幸『幸福』

坂本慎太郎『できれば愛を』

David Bowie『★』

 

音楽はこんなベタベタな感じです。しょうがないよね、岡村ちゃん久々のアルバムだし、ボウイは遺作にして大傑作だし、坂本慎太郎はいつも通り良いし...2016年発売の新譜はこれだけしか聴いておりませぬ。

 

そんな感じで2016年はこんな素敵な作品にたくさん出会えた年になりましたよ!良い年だったよ!最高!

 

民度が低いとか言いたくはないけど

仕事終わりは職場の近くの喫茶店に行ってコーヒーを啜りながら読書をするのが日課になっている。田舎だし夕方の早めの時間だからほとんどがお爺ちゃん、お婆ちゃんばかりなんだけど、今日はめずらしくチャラついたお兄ちゃんがいた。チャラついたお兄ちゃんがいること自体はいいのだが、そのお兄ちゃんは靴を脱いで椅子の上で胡座をかいていた。もう本当にワケがわからん。その座りスタイルがカッコイイと思ってしているのか、はたまたコーヒーの匂いと自分の足の匂いを混ぜて楽しみたいのか、いったいどうゆう思考回路なのかがわからん。

それでフと初めてラーメン二郎に行ったときのことを思い出したのだが、そのときは並んでいる隣のお兄ちゃんがおもむろにズボンのチャック開けて堂々と立ちションし始めて、こんな客層が来る店二度と来るかよって思った。他人のションベンの匂い嗅いだ後でラーメンなんて食えっかよ。

まぁつまり金を払う立場だから胡座をかくのではなくて、そこに来てる以上はある程度の姿勢というか心構えは必要ですよという当たり前の話でした。怒りのブログ更新。

別世界へのチケット

先日中野サンプラザに友人と一緒に岡村靖幸のライブに行った。終演後はいつもの流れで軽く飲みに行き、すっかり盛り上がってしまい、中野から自宅のある横浜の田舎まで終電で帰る羽目になった。
横浜で電車を乗り換えるために京急線のホームで20分ほど待たなければならなかった。いつもなら読書をするのだが、すっかり酔ってしまい活字なんてとても見る気になれないので、Facebookで知人の最近の動向を見て時間を潰すことにした。地元の友人の写真はほとんどが赤ちゃんの写真で「みんな幸せそうだなー!でも岡村ちゃんのライブに行ったばかり俺の方が幸せ度負けないぜ!」とほくそ笑んだりした。精一杯の強がりだ。さらに画面をスクロールしていくと過去に芝居で共演した方々の最近の舞台写真とかチラシとかがあり、何の考えもなくボンヤリとそれを眺めていた。
そのとき違和感を感じ、ふとホームに目を移すと芝居のチケットの半券が落ちていることに気づいた。学生時代に演劇をやっていたので芝居のチケットなんて目新しいものでもないのだが、私はその半券から目を離せなかった。なぜなら驚くべきことにその半券は私が今Facebookで見ている知人の舞台のものであったからだ。目の前で起きている出来事が信じられなかった。何度スマホの画面と落ちている半券を確認してもまったく同じタイトルだった。
はっきり言ってその知人の舞台はそこまで有名ではないし大きな劇場でやっているわけでもない。しかも横浜からは程遠い劇場である。その知人の舞台を見たお客さんが横浜駅のホームに、しかも私が乗り込む車両(さらには1車両4ドアあるうちの私が乗り込むドア)の列に、さらには本当に目の前としか言いようのない位置に落とすなんて驚愕である。たまたまと言えばそれまでの話だが、あの半券は人間では理解できない何らかのメッセージだと思ってしまった。思ってしまえるだけの異様な雰囲気が半券から出ていた。別にスピリチュアル的な話じゃない。ただ世の中には説明できない、人間よりも広い視野を持った何かがいるような気がして、ソイツがたまに見せる茶目っ気みたいなものが、我々がごくまれに体験する不思議な出来事の1つなんじゃないかと思うときがある。
あの半券を拾うことでその出来事を事実として認めるべきだったのだが、人間として出来なかった。圧倒的な出来事を前にしたら人間の価値観は捨て去るべきなのだが無理だったのだ。
それと同時に拾わなくて正解だったとも思う。あの半券を拾うことで時空に裂け目ができ、その裂け目から魔界の魔物が人間界にやってきて、魔界統一トーナメントなるものが開催され、トグロ兄弟とかいうサイモン&ガーファンクルばりにギクシャクした兄弟(弟の肩に兄が乗っている)がヤンチャしちゃうような世界になってしまっていただろう。
本当に不思議な半券だった。酔って見間違えただけかもしれないけど。

スターマンが空で待っている

昨年末から衝撃的な出来事が続いている。

芸能界1ももクロファンで知られるキング・オブ・コメディ高橋の事件。ベッキーの不倫騒動。今日はスマップの解散報道があった。ももクロファンの自分は、ももクロを熱く語る高橋さんの姿に結構好感を持っていたのでとてもショックを受けた。今となってはアイドル好きの世間からの目線をまた厳しいものにしてくれたなと憤りを感じる。なんて話を会社の飲み会でしたら世間はキング・オブ・コントのチャンピオンの高橋のことを知ってはいても、その高橋がももクロの熱狂的なファンであることを知る者は誰もいなかった。あまり誰も知らないんだと気づいたのでもう自分から制服泥棒の話をするのは辞めた。そうすればこの話は広まらない。

ベッキ―のやつは本当どうでも良いのだが、初めて紅白に出場しておめでたい気分の翌日に嫁ではない女を実家に連れていく男の心境がわからない。実家の両親も「うぇえい!」って思ったろうな。その行為はマズイ展開にしかなり得ないのは目に見えているのになぜだ。いくらロマンスがありあまっていても無理だ。あまりにも恋心が走り過ぎて私以外私じゃなくなったんだろう。あたりまえだけどね。

 そしてデヴィッド・ボウイだ。

いつかこの日が来るとは思ってはいたのだが、あまりにも突然過ぎる。おそらくボウイ本人はもう自分が長くないことを分かっていて最後のアルバム『★』を製作し発売まで間に合わせたのだろう。でも僕には無理だ。本当に彼の死を受け止めきれない。忌野清志郎が亡くなったときの泉谷しげるみたくその死を信じないことにしようかとも思ったけどそれさえも無理だ。キツイ。

...とつい熱くなってしまったが僕はそこまでデヴィッド・ボウイのファン歴が長いわけではないのがとても恥ずかしい。2~3年前までは精々聴いていたのがベスト版くらいなもんで、オリジナルアルバムを1枚ずつしっかり聴き始めたのは最近だ。ファンとしては新参者だ。すいません。好きなボウイのアルバムはジギー・スターダストというベタなチョイスだ。すいません。でもボウイが死んだと知ったその日の仕事の帰りは車内でジギー・スターダストを爆音でかけて運転をした。1曲目の「Five years」からそのあまりの美しさにポロポロ泣いてしまった。4曲目の「Starman」のころには嗚咽を漏らしながら「すたぁ~まぁ~んうぇいてぃんぐいんざすかいぃ~」と大合唱していた。

 

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笑っていいともが終わった時期ぐらいから自分が子供の頃から見てきたものがどんどんなくなっていっている気がする。当たり前のようにあるもの・いる人がなくなっていくのはなんだか世間から自分が取り残されていくような感覚になってしまう。日々いろんな出来事や情報が流れていく現代で5年後も変わらずにあるものなんてもうないのかもしれない。今大切にしている友人関係や仕事や感情は5年後もそこにあるかは分からない。だから脳が痛むほどに今の全てを記憶すべきなのだけれども、つい日常を取りこぼしてしまう。5年後も確かなものなんてない中で20年間も制服泥棒をしていた高橋は本当に病気なんだなと改めて思った。まぁそれとこれとはまったく関係ないけども。

自論だけれどもボウイの曲が流れる映画は名作が多い。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『ウォールフラワー』、映画としてはそこまでのれなかったけども 『LIFE!』のクリステン・ウィグが「Space oddity」を歌い始めてからの一連のシーンは本当に美しい。『キングスマン』は予告編では「Suffragette City」が流れていてワクワクしながら本編を見ていたのだが劇中では流れなかった。教会のシーンであれがかかっていたらなんかもう堪らなかったと思う。あとは『ブレックファスト・クラブ』の「Changes」の歌詞の引用も良かった。

デヴィッド・ボウイはブラックスター となって旅立ってしまった。僕は5年後も彼のことを好きだと確かに言えるように彼の残してきたものを聴いていこうと思う。このタイミングで今までのアルバムを買い漁るのは凄く恥ずかしいけれども構わない。だってデヴィッド・ボウイのニューアルバムはいくら待っても二度と出ないんだよ。

2015年映画ベストテン

第1位『スター・ウォーズ フォースの覚醒』

第2位『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』

第3位『ナイトクローラー

第4位『フォックスキャッチャー

第5位『ウォーリアー』

第6位『岸辺の旅』

第7位『アメリカン・スナイパー

第8位『ジョン・ウィック

第9位『ヴィジット』

第10位『はじまりのうた』

幽霊が見えた女の子

僕は中学生のとき吹奏楽部だった。吹奏楽部は部員全員での合奏以外のとき、つまり自主練のときは雨が降っていないかぎりは外で練習をしていた。夏場は19時頃までは明るいのだが冬になると17時ごろでわりと真っ暗になる。そんな中練習もせずにいつも同じことを言う女子がいた。その女子は普段は特に目立ちたがり屋というわけでもなく、むしろ地味で静かな子なのだが、彼女は毎日のように校舎のある窓を指差し「あそこに幽霊が見える」と言っていた。

彼女に幽霊が本当に見えていたのかどうかは今でも分からない。ただ最初は火の玉のようなものが見えていたのが、日を負うごとにそれがうっすらと人の形をした何か、髪が長くて白い服を着た女性、腹からはみ出した腸を引き吊りながら歩く化け物と....なぜかだんだんとグレードアップしていった。幽霊のバリエーションが豊富過ぎて、本当に見えているとしたらもう全然忍んでいない。とんだ幽霊カーニバルだ。一番驚いたのは彼女が「吸血鬼が見える」と言ったときだ。僕は怖さを通り過ぎて日本の学校と西洋の吸血鬼という妙な組み合わせに何か新しい可能性を感じた。

そんな彼女の幽霊話に周りの女子は「コワーイ!」だの「キャー!」だの叫んでいた。何が怖いだ。普段本人のいないところで「絶対あの子クラスで暗くて、せめて部活では注目されたいから幽霊が見えるとか言ってんだよ!」とか悪口を言ってくるお前らの方がよっぽど怖い。そんなロクに練習もしなかった僕の吹奏楽部は弱小で地方大会ではもちろんいつもビリだった。弱小であっても負けた時はやはり悔しくて中には泣いてしまう子とかもいたのだけど、翌日には僕らはケロッと忘れて幽霊の話をしていた。