僕はDay Dream Believer

モロモロの日々

どのように見えるか-『ザ・マスター』

仕事開始に伴い実家の愛媛から横浜に引っ越して1年ぶりの一人暮らしがスタートしました。晩飯を食うときの孤独感にビビったりもしていますが、横浜のオシャレな居酒屋で慣れないワインなんぞを飲んだり、岡村靖幸のライブに行って号泣したりと元気にやっております。ネットも無事開通したので先日観た映画の感想を書いてみようかしらと思った所存であります。

1950年代、第二次世界大戦後。海軍の帰還兵でもあるフレディ(ホアキン・フェニックス)は、日常生活を取り戻していたが、戦地で患ったアルコール依存を断ち切れず、職場で問題を起こしてしまう。あてのない旅に出た彼は、密航した船で「ザ・コーズ」という新興宗教団体に遭遇し、教団の指導者である“マスター”(フィリップ・シーモア・ホフマン)に迎えられる。そこからフレディの人生は180度変わる。フレディは次第に、教団の創始者であるマスターの右腕になっていくが、彼の人格を疑うマスターの妻(エイミー・アダムス)は、フレディの追放を狙い始める―。マスターはフレディをただ救いたかった、そしてフレディはただマスターを信じたかった。だが、教祖と信者となるには、あまりにも2人は近づきすぎ、力が均衡し、衝突していく・・・そして教団の存在をも揺るがすことになるのだった。このふたりの男とひとりの女の魂の叫びに、観る者の本性がむき出しにされる。(チラシより)

正直言うと非常に感想に困る映画でした。凄く面白かったというわけでもなく、かと言えばつまらなかったわけでもないし、興奮するシーンもあればウトウトしてしまうシーンもあり、面白い面白くないで片づけることができない映画という印象です。監督はPTAことポール・トーマス・アンダーソン。アカデミー賞8部門ノミネートの前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』から5年ぶりの最新作です。数年前からPTAがサイエントロジーの創設を題材に映画を撮るらしいという話は聞いており「そんなもん傑作間違いなしでしょうが!子供がまだ食べてるんでしょが!!」とひょっとこ口で興奮していました。サイエントロジートム・クルーズジョン・トラボルタなどが入信している宗教団体であり、サウスパークでももちろんバカにされているほど有名です。まぁ日本で言うならば●●学会ですなぁ。そんな団体の内部がついに暴かれるのか!?しかもPTAで!!と思いきや、映画に登場する宗教団体『ザ・コーズ』は好意的にも悪意的にもどちらに偏ることなく描かれており、映画の軸となるのはマスターとフレディの関係性でした。

ホアキン・フェニックス演じるフレディは工業用アルコールをがぶ飲みし、序盤からトップギアで、砂で作った女体に手マンした後に海に向かってマスターベーションするというメチャクチャな奴。『ザ・マスター』のマスターはマスターベーションかと思うくらいそりゃもう堂々としていました。メチャクチャな一方で戦争に行く前に女性と結婚を誓い合ったり、帰還した数年後にはカメラマンとして立派に生計を立てていたりと真面目な面もあります。しかし彼は戦争から帰還してもなぜか女性を迎えには行かないし、カメラマンになっても急に客を殴るし、いつも途中で何もかも投げ出してデタラメな行動をとりたくなるのです。このフレディのキャラクターはせっかく積み上げた俳優としてのキャリアを捨てて急にラッパーに転身したホアキン・フェニックスそのもので(結局はラッパー転身は嘘でしたけど)ピッタリの役。そんなデタラメなフレディが出会ったのが白豚ことフィリップ・シーモア・ホフマン演じる新興宗教『ザ・コーズ』のマスター。フレディはただのデタラメな奴だけれども、マスターは『ザ・コーズ』というデタラメで多くの人から人格者として崇められています。自分の身を滅ぼしてきたデタラメを巧みに操るマスターにフレディが惹かれるのは当然であり、またマスターも自分が隠しているデタラメを剥き出しにするフレディに惹かれていきます。その2人が好み、体内に流れるデタラメの象徴=アルコールを他人が飲むと倒れてしまうというのもよくできてますわ。映画の中でマスターが信者の重箱の隅を突くような質問に子供のようにキレるシーンがあり、その姿は『ザ・コーズ』がデタラメであることをマスター自身どこかで分かっているように見えます。フレディの方もラストに自分がマスターに受けた指導を女性に同じように試し途中で笑ってしまうシーンがあり、2人とも『ザ・コーズ』が無価値であるとどこかで気づいているのではないかと思いました。

また映画ではロールシャッハテストが登場し、そのイラストは映画の宣伝用ポスターにも使用されています。ロールシャッハのイラストは観る人によって何に見えるか変わります。どのように見えるかでその人の人間性が分かり、野蛮なフレディは卑猥なものにしか見ることができません。ただの黒いシミであるロールシャッハに意味を見出し“何か”として見るように、フレディとマスターは普通の人にとっては理解しがたい『ザ・コーズ』に価値を見出します。2つのデタラメな魂が生きていくには無価値でデタラメなそこしかなく、同じ魂を持っているから2人は完全に引き裂かれる前に離れたのではと思いました。観る者によって『ザ・マスター』映画そのものもロールシャッハテストのように様々に変わり、かなり実験的な作品であるのにもかかわらず、嫌味にならず楽しめるところにPTAの凄味を感じました。

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