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僕はDay Dream Believer

モロモロの日々

『ぼくのエリ〜200歳の少女〜』

『ぼくのエリ〜200歳の少女〜』を見ました。
注意!今回は完全にネタバレ覚悟で書いていますので鑑賞後に読んでください!

今回どうしても納得がいかなかったところがある。面白いシーンがたくさんあったのだが、どうしてもそれが納得いかず、不完全燃焼な後味であった。

ある日、ヴァンパイアである少女エリは父らしき中年男性と一緒にオスカーの隣の部屋に引っ越してくる。12歳の少女であるエリは一人では生きていけず、この中年男性に血を与えてもらっている。その男は血を得るために夜に若い男を殺している。それがおぞましい殺人事件として町の話題になっている。この中年男性はエリを愛しており「今夜彼に会わないでくれ」という台詞から分かるようにオスカーに嫉妬さえしている。おそらく彼は過去にオスカーと同じように永遠の12歳であるエリに出会い愛し何かから二人で逃れてきたのだろう。つまりこの中年男性こそ数年後のオスカーであると言える。

なのでオスカーはエリのために殺人を犯す中年男性になる瞬間というものが映画の中で必要だと私は思う。「正しきものを中に招く」が原題であり、本編中にエリはオスカーに「私のすべてを受け入れて」と懇願する。ここまでは観ていて良かったのだが、私が腑に落ちないのはオスカーがエリの綺麗な部分しか見ていないところである。エリが寝ている間に友人・妻をエリに殺された男が復讐にやってくる。オスカーはそれに気づき後ろから近づき「やめろ」と言うのだが、実質手を下したのはその声に気づいたエリである。しかも彼はエリが男を殺すところを扉を閉めて見ようともしない。ラストのプールのシーンにしてもオスカーはずっと水中で目を閉じたままである。

なぜオスカーはエリを受け入れるためにエリのヴァンパイアの部分を見ようとしないのか。血を吸うところは確かに見た。しかしオスカーがあの中年男性になるためにはエリのために殺人を犯す・もしくは殺人を見なければならないと思う。あのバスルームでオスカーが男の首を引き裂き流れる血をエリが飲むのがベストな気がしてならない。

それとモザイクが逆効果になってしまっているのも一つの要因だ。オスカーがエリの封印された局部(女の子ではないところ)を盗み見るのだが、あのモザイクではただ局部を見てハッとしただけにしか見えない。それを目撃することもすべてを受け入れる一つであったのに残念で仕方がない。

私はそうではないのは十分に分かっているのだが、この映画がエリが新しい男を誑かしオスカーがフラッとついていってしまっただけに見えてしまった。